横浜開港で賑わった保土ヶ谷道から東海道へ


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1.  掃部山公園

旧彦根藩の士族らが故井伊掃部頭直弼の記念碑建設のため、この丘を買収し、井伊家の所有としました。 明治42(1909)年、横浜開港50周年を記念して、井伊掃部頭直弼像が建てられました。/p>

2. 保土ヶ谷道と横浜道の分岐点

保土ヶ谷道は、戸部村と保土ヶ谷宿を結ぶ、生活道路でした。 横浜道は、東海道筋と開港場を結ぶため、野毛山の切り通し、野毛橋(現都橋)、太田橋(現吉田橋)を通り開港場へ至ります。

3.  くらやみ坂

くらやみ坂の語源には、次の3つの説があります。

①鎌倉時代、通り掛かった源頼朝が、馬(鞍)を止めこの景色を眺めた。

②この付近一帯は樹木がうっそうとしていて昼なお暗き所だった。

③急な坂だったので、人々は荷物を積んだ馬(鞍)に一息入れて登った。

4.  願成寺(がんじょうじ)

境内墓地には、新田開発にかかわった平沼家とスポーツ市長といわれた平沼亮三(15・16代横浜市長)、幕末の鎌倉事件、港崎町の遊郭でフランス水兵を殺害事件の首謀者の墓があります。

5.  神明社

天禄元(970)年、に天照大御神が榛谷(はんがや)と呼ばれた当地周辺の峰に影向したと伝わります。 この地域は、平安時代末期に「伊勢神宮」に寄進され「榛谷御厨」と呼ばれましたこの寺には横浜開港に伴いフランス領事館が置かれました。

6.  帷子橋(古町橋と新町橋)

旧東海道が整備された1600年頃、古町橋で帷子川を渡るルートでした。参勤交代の制度で交通量が増え、慶安年間(1640年代)にルートが変更され、新町橋を渡るようになりました。

7.  旧中橋(なかのはし)本覚寺

かつて今井川は街道の東側を流れ、ここ「中橋」付近で西側へと抜け、帷子橋の上流で帷子川と合流していました。そのため、帷子通りは、度々、浸水しました。

8.  金沢横町

この地は、金沢・浦賀往還への出入り口にあたり、「金沢横町」と呼ばれました。金沢・浦賀往還には、円海山、杉田、富岡などの信仰や観光の地が枝道にあるため、道標4基が建立されました。

9.  保土ヶ谷宿本陣跡

保土ヶ谷宿の本陣は、小田原北条氏の家臣苅部豊前守康則(かるべぶぜんのかみやすのり)の子孫といわれる苅部家が代々つとめています。同家は、問屋・名主を兼ねるなど、保土ヶ谷宿における最も有力な家でした。

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