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---コースご案内 約6Km 半日コース---

1.旧帷子橋跡(きゅうかたびらばしあと)

保土ヶ谷宿に入って、旧東海道が帷子川と斜めに交差するところに架かっていた橋が旧帷子橋です。橋の長さは15間(27.3m)幅は3間(5.5m)でした。

2.旧古町橋跡

江戸時代初期の古東海道と呼ばれる道はここで帷子川を渡りました。新しく架けられた 帷子橋が新町橋と呼ばれたのに対し、この橋は古町橋と呼ばれました。

3.神明社(しんめいしゃ)

その昔、二俣川(旭区)から保土ヶ谷にかけての帷子川流域一帯を榛谷(はんがや)と呼び、平安時代末期の保安3年(1122)、この地を開発した豪族がこれを伊勢神宮の神領地として寄進したことから、「榛谷御厨」(はんがやみくりや)と呼ばれていました。

4.金沢横丁

旧東海道と分岐して左に折れる道が金沢道の入り口で、通称「金沢横丁」と呼ばれました。曲がり角には4基の道標が並んでいます。

5.大仙寺

創建は平安中期(979年頃)と伝えられています。本陣を務めた苅部家の菩提寺で、 保土ヶ谷区で最も古い寺の一つです。

6.苅部本陣

保土ヶ谷宿が設けられると、苅部清兵衛が幕府から本陣、問屋、名主の役を命ぜられ、以降、明治3年(1870)本陣の制度が廃止されるまで、代々清兵衛を世襲してきたそうです(現在は軽部姓)。

7.元町橋

江戸時代初期は、この辺りが保土ヶ谷宿だったといわれています。慶安年間(1648-1652)に宿場が整備され江戸寄りに宿場が移転すると、この辺りは新町に対して元町と呼ばれるようになりました。

8.権太坂

『新編武蔵風土記稿』に「その地形十丈(約30m)余りも高く、屈曲して、長き坂なり。 故に街道往返の人このところを難所とす……」と書かれるほどに傾斜のきつい大変な急坂で、民家もなく道の左右はうっそうとして松の老木が立ち並んでいたといいます。

9.境木立場跡

この境木の立場は難所の権太坂を上りきったところにあって見晴らしも良く、旅人は立場 茶屋で名物の牡丹餅を食べながら、疲れを癒したものと思われます。

10.品濃一里塚

江戸から9番目の一里塚です。この一里塚は、街道の左右につくられ、直径が6間(約11m)、高さ3間(約5.5m)で、昔は大きな榎が植えられていたそうです。現在、神奈川県内でほぼ完全な形で残る唯一の一里塚で、県の指定文化財になっています。

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