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---コースご案内 約6.5Km 半日コース---

 

1.六郷の渡し

六郷川は、江戸から上方に向かう旅人が最初に出会う大きな川です。江戸初期には橋が架けられましたが、たびたびの洪水で流され貞享5年(1688)以降は舟渡しになり、大正14年(1925)六郷橋が完成するまでの約240年間続きました。

2.万年屋跡

万年屋は13文均一の一膳飯屋に過ぎませんでしたが、明和年間(1764~73)名物奈良茶飯(茶飯に蜆(しじみ)汁と煮豆)の大ヒットにより、宿内一の茶屋に発展しました。弥次喜多で知られる『東海道中膝栗毛』にも描かれ、のちには米国駐日総領事ハリスや皇女和宮も宿泊したと伝えられています。

3. 田中本陣跡・田中休愚

田中本陣の「田中休愚(きゅうぐ)」は農政家として著名です。武蔵国多摩郡平沢村(あきる野市)の農家に生まれ、20歳で川崎宿本陣・田中兵庫の養子となり、宝永元年(1704)42歳で、家督を継ぎ、本陣・宿名主・問屋の三役を兼務しました。 宝永6年(1709)幕府からの助成金3500両と六郷川の渡船請負権を得て、宿開設以来、困窮していた宿場財政を建て直しました。享保6年(1721)幕政のあり方を「民間省要(みんかんせいよう)」に著し、将軍徳川吉宗に認められ、幕府普請御用役に抜擢され、荒川・多摩川・酒匂川の治水と改修工事にあたりました。

4. 稲毛神社

武甕槌神(たけみかづちのかみ)を祀った古社で「武甕槌宮」と称していました。平安時代末期に、この地を領有していた河崎冠者基家(かわさきかじゃもといえ)が、山王権現を勧請して以後「河崎山王社」「堀之内山王権現」などと呼ばれていましたが、明治に入り神仏分離により「稲毛神社」となりました。

5. 佐藤本陣跡

佐藤惣之助(1890~1942)は、砂子町にあった佐藤家の次男として生まれています。佐藤家は川崎宿の本陣職を代々務めていた家柄でしたが、惣之助が生まれたときは雑貨商を営んでいました。昭和9年(1934)発売の東海林太郎が歌う「赤城の子守り唄」が大ヒット、一躍人気作詞家となりました。

6. 川崎小学校

坂本九は、川崎区生まれ。昭和29年(1954)川崎市立川崎小学校卒業。日本の代表的な歌手で、「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」「涙くんさよなら」などのヒット曲が多数あります。特に「上を向いて歩こう」は「スキヤキ」というタイトルで、その年の米国で3週連続ヒットチャート第1位を獲得、世界中で今までに2千万枚以上のヒットを記録した唯一の日本の名曲です。世界的に有名になった最初の日本人歌手として今も親しまれています。

7. 芭蕉の句碑

元禄7年(1694)5月、松尾芭蕉は、郷里である伊賀への最後の旅に出ます。川崎宿のはずれにある茶屋で別れの句を詠むことになりました。 句碑には「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」とあります。 芭蕉は、この年の10月に大坂で、51歳で亡くなりました。

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