万葉集にうたわれた大磯の浜と別荘跡を訪ねる


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---コースご案内 半日コース(約6.3Km) ---

1.政財界の要人の別荘邸宅跡

🏠旧安田善次郎別邸・旧浅野総一郎別邸跡、🏠旧原敬別荘跡、🏠旧山内豊景邸跡、🏠旧久原房之介邸跡・🏠旧林董邸跡、🏠旧山縣有朋邸跡、🏠旧古河市兵衛邸、🏠旧伊藤博文邸跡、🏠旧池田成彬邸

2.化粧坂と江戸方見付

鎌倉時代は、虎御前などの白拍子が化粧に使った井戸があったという化粧坂。江戸時代は松並木が続く街道で、大磯宿の江戸方見付がありました。

3.延台寺

虎御前ゆかりの寺です。東海道名所記に「虎が石とて丸き石あり、よき男のあぐれば、あがり、あしき男のもつには、あがらずといふ。色ごのみの石なり」とあります。

4.小嶋本陣

大磯宿には小嶋本陣、尾上本陣、石井本陣の三つの本陣がありました。

大福帳など資料から、往時の小嶋本陣の様子がしのばれます。

5.地福寺

船着山円如院地福寺と称し、東寺真言宗の古刹です。創建は承和4年(837)、開基は弘法大師の弟子であった杲隣大徳で本尊は不動明王です。境内には文豪島崎藤村夫妻の墓が、梅の古木約20本に囲まれて建てられています。

6.照ヶ崎海岸

照ヶ崎海岸は日本最初の海水浴場といわれています。健康と体力増進のために海水浴が良いと考えた初代陸軍軍医総監であった松本順が推奨し、明治18年(1885)に海水浴場が開設されました。また、アオバトが海水を飲みに来る場所としても有名です。

大磯の海岸は、古代から「よろぎ(ゆるぎ、こゆるぎ、こよろぎ)の磯」と呼ばれ、万葉・古今・新古今などの歌にも多く詠まれています。

7.新島襄終焉の地

新島襄は明治8年(1875)同志社英学校(後の同志社大学)を設立した教育者であり宗教家です。大学設立準備のため東奔西走中の明治22年(1889)11月、心臓を悪化させて大磯の百足屋旅館の愛松園で静養していましたが、翌年に48歳の生涯を終えました。石碑は、百足屋旅館の玄関だった場所に建てられたものです。

8.鴫立沢・鴫立庵

鴫立庵は寛文4年(1664)、小田原の崇雪が、西行の「心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫立沢の 秋の夕暮れ」という歌の面影を残す場所として草庵を結んだのが始まりで、元禄8年(1695)、俳人大淀三千風が庵を再興して入庵、鴫立庵一世となって以来、落柿舎、無名庵と並ぶ日本三大俳諧道場と言われています。 

9.旧島崎藤村邸

島崎藤村と大磯の関りは、昭和16年(1941)1月に休養のために湯河原を訪れる途中、大磯の左義長を見物に立ち寄った時といわれています。大磯とこの家が気に入り、2月には大磯に移転し、翌年8月には借家を買い取り、小説『東方の門』に着手しました。昭和18年8月21日に『東方の門』執筆半ばで、脳溢血でたおれ翌日永眠、享年71歳でした。

10.東海道松並木

関ヶ原の合戦に勝利をおさめた徳川家康は、慶長6年(1601)、東海道に宿駅伝馬制度を設け、宿場や街道の整備を行いました。翌年の慶長9年(1604)には、36町を1里(約3.9km)として1里塚をつくり、街道の両側に松や杉などが植えました。化粧坂や中丸の一里塚、山王町の旧道、大磯中学校前、中丸付近の松並木はこの時に整備されたものです。

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