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横浜開港当時の神奈川宿を歩く


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---コースご案内 半日コース(約6Km) ---

1.長延寺跡

長延寺は、天正8年(1580)玄栄法師により創建された浄土真宗の寺院です。道路拡張に伴う区画整理のため、緑区へ移転しましたが、幕末横浜開港時にはオランダ領事館がありました。

2.良泉寺

開港当時、良泉寺が諸外国の領事館に充てられるのを快しとしない住職は、本堂の屋根をはがし修理中とし、幕府の命令を断りました。墓地には、生糸相場師の田中平八が眠っています。

3.熊野神社

平安時代中期、近くの山頂(権現山)に熊野権現を勧請し創建されました。門前の横浜で一番大きいといわれる狛犬は、ペリー来航の年、鶴見の石工8代目飯島吉六(惣五郎)により造られました。

4.成仏寺

慶長年間、徳川家康から10石の御朱印を受け、境内地3町四方、塔頭6坊の大寺でした。日米和親条約締結のため林復斎(大学頭)は、この寺に逗留し交渉しました。開港後は宣教医ヘボン、宣教師ブラウンなどの宿舎となりました。

5.慶運寺

文安4年(1447年)創建と伝わる浄土宗の寺院。浦島ヶ丘に有った観福寿寺(明治元年(1868)神奈川宿の大火により焼失、廃寺)が所蔵していた浦島太郎伝説に関わる記念物が移されています。 開港時フランス領事館となりました。

6.淨瀧寺

日蓮宗の寺院で、開港時イギリス領事館がありました。境内には、青木本陣鈴木家の墓碑、大旅籠の大国屋、横浜に進出した貿易商の鴨居屋など神奈川宿関係者の墓地が多くあります。

7.宗興寺

十全病院で多数の外科手術を実施教育、後継者を育てたシモンの宿舎でした。また、「虫下しセメン円」でも有名でした。 ヘボン博士は、宿舎の成仏寺から5か月間、ここへ通い無料の施療所を開いていました。

8.神奈川台場跡

安政6年(1859)幕府の命で伊予松山藩が海防政策の一環として台場を構築しました。設計は勝海舟、面積8000坪14門の大砲を備えていました。海上に突き出た形はいろんな角度に撃てるよう蝙蝠に似た形でした。

9.本覚寺

臨済宗の開祖栄西が創建したと伝わる寺院です(現在曹洞宗)。開港時アメリカ領事館が置かれ、生麦事件の際にはヘボン博士が負傷者の治療にあたりました。山門脇には、幕末に日米修好通商条約の交渉で横浜開港をまとめた岩瀬肥後守忠震の顕彰碑があります。

10.望欣台の碑

高島嘉右衛門は、京浜間鉄道開設のため神奈川湊の埋め立て工事を請け負いました。ここから工事を監督し、僅か135日で完成しました。

灯台設置、ガス会社設立、洋式学校開校、セメント会社経営、など実業家として活躍し、「横浜の父」と呼ばれています。北海道でも鉄道会社を経営、原野を開墾し牧場も経営するなど北海道開拓の功労者でした。

11.高島先生顕彰碑

高島嘉右衛門は「易断」でも有名で、今でも「易聖」と呼ばれています。政府高官も征韓論など政治の重要事は嘉右衛門に占ってもらう者が多かったと言います。日清・日露の戦況占いは新聞にも掲載されました。また本人の死期の他、伊藤博文の死期も占い、暗殺者の人名も当てたそうす。 

12.台町茶屋

江戸時代眺望の良い海側に21軒の茶屋が並び、広重の浮世絵にも描かれています。文久3年(1863)創業したという田中屋が当時を忍ばせまます。坂本龍馬の妻お龍は田中屋の仲居として働いていたという事です。

13.神奈川台関門跡

横浜が開港すると外国人に対する殺傷行為が相次ぎイギリス総領事オールコックは関門及び見張り番所を設けることを要求し、神奈川奉行は、関門7箇所番所10箇所を設置しました。

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